自分のことを少し話す①

やっほー(^O^)/スタッフゆきこだよー!

すっかりお馴染み資料館ブログのしげちゃんオマージュでスタート。やっほー!ってはじまるの明るくて良いなぁと思います。心をグッと掴まれます。

当たり前の様に話し始めて3回目。

ここをみてくれている時点で、kodamadoや私のInstagram又はFacebookから来ている方しか居ないので、八雲の木彫り熊の事は知っているとは思うのですが、SNS外の方で知らない方にもわかるように私のことを少しだけ説明したいと思います。

えーと、こうなると、どこから話したらいいんだっけ?

まず、私は日本という国の北に位置する北海道と言う島の渡島半島に位置する道南地区、八雲町というところに住んでいます。

私のポジション的に、「八雲町外に発信する。」ということも大事なのですがそれと同時に「八雲町内に発信する」のどちらも最重要課題となっております。

なぜかって?何故…なの???ポジション的にって私は一体どこのポジションなんでしょうか???さぁ、それでは、一緒に考えていきましょう。

実家は酪農家、おじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さん、4人姉妹の末っ子。大雪の日に生まれたのでゆきこという名前になりました。

その後結婚して、夫の家業を手伝いつつ犬と猫と暮らしています。徒歩30秒のところに夫の会社兼実家があって、夫の母が住んでいます。

つまりは、田舎に生まれて育って田舎に嫁いだ。ということになります。

実家は酪農家ということもあり、さらにど田舎。山や小さな川が近くにあって、家の周りは畑です。春にはカエルやエゾサンショウウオの卵を見に行ったり、拾ってきて水溜りに入れてをじっと見てドンガイ(イタドリ)の茶色くなったやつでつついたり。牧草にのって遊んだりしていました。基本犬と一緒か、1人で。

夏は、家の周りに植えた牛の餌となるデントコーンが、広大な土地にさらさらそよぐ音を聞くとよく眠れた。熊がそのデントコーンを食べにすぐ近くに来ていたみたいですが、出会ったことはありません。

冬は、あたり一面ただただ真っ白。銀世界。足跡をつけに行くのも億劫なほどに雪深い。

酪農業には休みがないからあまり何処かに連れて行ってもらったことはないけど、それが当たり前だったし、たまにどこかに連れて行ってもらえると、それはそれは嬉しかった。

小学校まで子供の足で40分、何もないまっすぐな道を冬は吹雪に耐えて歩いて登校。その学校も同級生が私を入れて三人。他の2人は男の子。どっちかの男の子と結婚しなきゃいけないと思い込んでいた笑

全校生徒でも20人ほどで、複式学級という、1、2年生で一クラス。3、4年生で一クラス。5、6年生が一クラスになる学校でした。

謎に漁師の子(浜の子)が強く、その他の子が弱い。みたいな図になっていたけど、浜の方が住宅が密集していて、人口も多く、きっといろんな人と話しすことでコミュニケーション能力が高かったし、浜訛りが怖く聞こえていたというだけだったように今となっては思う。

早生まれだったのもあり、説明したり言い返したり出来ず、いじめられている気持ちになっていて、よくハートブレイクしていた。

末っ子なのでビビり。それは今も。

お爺ちゃんお婆ちゃんが優しかったけど厳しい人だった。おばあちゃんは今も健在。あまり出かけるのを良しとしなかったので、今でもその後遺症として、出かけることに罪悪感を感じちゃう時がある。

…….少しと言いつつ、ちょっと長くなりそうなので、一旦この辺で切ります。何書いてるんだっけ?ってなってる。

つづきます。多分。

実家の牧草地。丘だけど山と呼んでいた。
実家の牛舎
10年前のInstagramより。いいね数少ない笑。

2013年当時のInstagramこちらもいいね数激少ない。ゴム手袋してでも触りたかったエゾサンショウウオ。結局大人になっても好き。そして姉たちはいつもいいねしてくれていた。