やっほー!スタッフゆきこだよー!
資料館ブログしげちゃんオマージュでスタートです^ ^
今日は「自分のことを少し話す」の3回目。オチはもう考えてあるのですが、なかなか終わらないストーリー。もう少しお楽しみください。
このシリーズのタイトルを「おしゃぼ」から「自分の事を少し話す」に変えますね。
前回からのつづき。
八雲は1万5000人ほどの人口で、田舎あるあるなのかもしれないが苗字を言うだけで、誰かわかってしまう。
まず、どこの人?ときかれ、「八雲です」と答えたが最後、そこからはもうスラスラスラスラ~とパンツの色まで当てられるんじゃないかと言うくらい。身元がバレる。
本人のことが誰かわからなくても、あーはいはい。あそこの誰々さんの娘ね。と。
それがすごく嫌だった。
誰にも見られたくないし、会いたくなかった。誰にも何も評価されたくなかった。
自信のない私は内側へ内側へ。
家に車が無いと遊びに歩いてると言われてしまう。どこかに止めてあれば、どこどこにいたでしょ?と言われる田舎。
お爺ちゃんとお婆ちゃんが出かけるのを異常に嫌がったのは、人目を気にするのと、やることいっぱいあるのに出かけるな。ということなんだろうけど、じいちゃんばあちゃんの頃の楽しみと、その下の世代の楽しみじゃ違うから押し付けは良くない。
自分でやろう!と決めて農家をやり始めたじいちゃんと、それを継いでいこうと決めたお父さんでは、全然違うのだ。違くて当然。
そして、今思えば、遊びに行ったって良いのに。じいちゃんたちの楽しみはきっと、近所の人とのお祭りとか、自分たちで考えて仕事を切り開いていくのが楽しかったりもしたんだろうけど、違うやり方の若い人を「若い奴は」っていうこと聞かせようとするなんて、厳しいや。
酪農は動物相手なので休みがないし、本当に大変。
当時は北海道だと作物だけだと冬が厳しく、食うに困った。(暖房設備やハウスなどもないし除雪も今でも大変なのに、大変だったと思う)
通年で安定して食っていくために酪農をやろうと決めたじいちゃん世代にはそういう経緯があってやっていたんだろうけど、現代のやらされてる感満載の私には、できることではなかった。
実家を継ぐのをやめた後、どこかに行こうと思ったけれど、八雲の人と付き合ってしまった。(安心してください。今の旦那さんです。恥ずかしッ)
このまま八雲から離れてしまっていたら、気まずくて実家にはろくに帰ってこられなかっただろうから、八雲に残れることになって良かったのかなー。と思う反面、親たちの世話をするのに姉を八雲に戻してしまうことになった。長女ってこういう時、責任感を感じで帰ってきてくれるのか。と、今も申し訳なく思っています。
その後、自分で決めて八雲町内で就職した。働く楽しさを知った。働くって楽しい。
世の中の仕組みを理解した。おおむね仕事は好きで楽しいが、やはり大変。自分に嘘をついて無理をしていくと、それがたたってきて、どうしてもやめてしまうことになる。
仕事を辞めてハローワークに手続きに行った時、私の家ことを知っていた人だったらしく「なんであんな良いとこやめたんだ?もったいないってみ〜んな言ってるぞ。」と、すごくいやみたらしく言われた。ハローワークの人に。
ショックだった。
みんなって、だれ?どうしてみんなに言われてるの?仕事の内容も私の境遇も知らないくせにどうしてそんなことをほぼ初対面の私に言えるのか。と悲しかった。
苗字と住所を見ただけでどこの誰かわかってバカにして良い対象だと判断したんだ。
農家の娘で農家を継ぐと言ったのに、辞めて就職したのに、そこも辞めたんだぁ。バカだなぁって意味以外に考えられなかった。
すごく嫌だった。けれど、言い返せるはずもなく。
「心配」や「お節介」とも思ったが。その範疇から大幅にはみ出ている。私の中でこれは「バカにされたんだ。」と認定した。
ただでさえ自分に自信がないのに。事情があって仕事を辞めて万全じゃない今の私はさらに突き落とされた。かなりガードを決めていても、突き落とされる時がある。弱り目に祟り目。
その後、私は無事八雲で楽しく働いていた。その内結婚すれば、幸せだと思っていた。しばらくして結婚した。結婚しても仕事は続けた。
結婚した相手の家が、イケてる家だったので、嫁に来てからは「あー!あそこのお嫁さんね!」と声がワントーン高い。
カーストが上がったような気持ちになった。
うちと旦那の家は実家と180度ちがった。週末は出かけるタイプのアクティブ一家。
欲しいものを買ってもらえる家。(実家は謎に、有名なものは買ってもらえなかった。)
ファミコンはダメで、セガ・マーク3。
たまごっちはダメで、ねこっち(ねこっち!!!!!)
旦那に至ってはスノーボードを八雲で乗ったの俺が最初だよ。なんて言うし。。。こんな人八雲にいるんだ。と思った。
私はクリスマスさえも、東京のイベントだと思っていた。貧乏って言うわけではなかったはずなんだけど、親が疲れていたらしい。(何故なら姉たちにはクリスマスがあったから。後に知った。)
ああ、楽しんでも良いんだ。
1番に欲しいものを選んでいいんだ。(2番手を選ぶ癖がついている。)
何かから解放された。
そして、とても可愛がってもらえている。こんなに可愛がってもらえるものなのか‼️
自分で決めて仕事をして、結婚して、自分に少しづつ自信がついてきた。
今回も長い。。。書きたいけど書きたくない。そんな気持ちで消したり足したりしながら書いてます。誰も傷ついたりしませんように。と思っていますが変なこと書いてたらスミマセン。
こんな人生甘々だよ!と思うかもしれませんが、もう少し書きます。スミマセン。