やっほー!ゆきこだよー!しげちゃんオマージュが決まったところで今回のオシャボスタートです!
オシャボってなんだべ???って思った方はぜひはじめからどうぞ!
登場人物紹介ページを作りましたのでこちらも是非!
長い長ーいながーい、なっがーい、ながい、ながいながいクマまつりファイナルが10月31日で無事終了いたしました。
お疲れ様でした。
なんとなくホッとしました。
しかし、前からお伝えしておりました様に、これからは毎日がクマまつりです。
御朱熊印で町を巡ることができます。
資料館で木彫りの熊を見、kodamadoでグッズを買い、小熊さんにワークショップで木彫りの熊を教えてもらい、木彫り熊を置いている色んな飲食店でご飯を食べたり温泉に入ったりして楽しむことができます。
八雲町には木彫りの熊がいっぱいいます。
活動を始めた2021年11月。
今からちょうど3年前から参加し始めたクマまつり、あの頃はコアなファンの方しかいなくて、お客さんも非常に優しく、私の梱包の下手さなど、甘やかせていただいてたのですが笑
今はある意味、「普通のお店」にレベルアップしてしまったので、甘やかしてくれるお客様は少なく笑、いろんな方が来てくれるお店に成長しました。
ちゃんとした接客が求められているッ!とヒシヒシと感じます。(当然のことですが。)
初めの頃は店番中に熊を彫ったりしていたのですが、今では在庫管理や発送など、やらなければいけない事も増え、会計以外に接客としておしゃべりをすることが減ったなー。と思います。
今年は100周年という事もあってかなりのお客様がみえていましたし、発送もかなり増えたので流行っていたのかも知れない。というのが実感としてあります。
3年前には、町に住む人のほとんどがまだ興味のなかった木彫りの熊、私のおかげでとは言いませんが、少し暴れた甲斐あって、宝物と気がついてくれた人が一人でもいてくれて良かったなとおもいます。
私たちがイベントをしていなかったら、熊を彫っていなかった人も絶対いる。
大変だったけど今となってはいい思い出です(思い出にするにはまだ早い、正式にはまだ終わってない汗)
不思議と思い出すのは楽しかったこと。携わらせてもらえて良かったな。楽しかったな。
写真を見返してニヤニヤしています。
そしてオシャボ、書かなすぎて大変なことになっております。
写真を載せようと思って、アルバムによけたら100枚以上になってしまい、どうしましょう。
前回書いたのが8月23日、、、。
お盆明けから、なんかずっと忙しくて実は一回病んだ(今となっては良い思い出〜?苦ぅ〜!)
展示替えを土曜日お店閉めてから夜遅くまでやって、日曜日に新しい展示始めるなんて無いのよ。普通。
最低でも一週間くらいかけるんだって。知らなかったよ!知らぬが仏。なんか意味違う。
展示終わったらさ、返却行って、すかさず借りてきて、
そうこうしてたらさ、イベントきてさ、ワタワタしてさ、写真集できてBASEとかSNSに載せてさ、発送してさ、またイベント来て、YouTube撮って、展示替え。の繰り返しをさ、ずーっとずぅぅぅぅぅぅ〜っと、、、マラソン状態。
イベントマシーン。なんのためにやってるか一瞬見失った。
思い返せばマラソンはいつもビリッケツ。苦手なのよね。持久走。
なんだか畳みかけられてしまって、私の体力精神力持たず。
少し勝手に色々キャンセルして自己防衛いたしました。
9月中旬は何もみなぎらず「はぁ〜、、、終わった。。。終わり。お終い。」ってずっと口に出して言っていた。
夫がそれは夏バテだと教えてくれたので、一週間くらい「終わった」と連呼しながら休んだら戻ってこられました。
さぁ、さて、何から書きましょうか。
前回ベアフットアパートメントの301号室sol.さんとモントペペリさんのYouTubeの撮影をしたが音声取れていず、YouTube担当の姉のみきがムチウチの刑をご所望だ!という話があったのですが、音声が聞き取りにくいですが、最近無事に撮影終わりましたので、ぜひご覧ください。
あと個人的には新しく四ヶ月の子猫のミケランジェロ♀が家族に仲間入りしたのですが、信じられないくらいヤンチャで今もパソコンのキーボードの上を縦横無尽に歩き回ろうとするので静止するのに大変で困りながらも、短い子猫時代を存分に楽しもうと思います。
そして、kodamadoギャラリーで開催していた「北海道の木彫り熊展」
たくさんの方にご教授ご協力いただき、完成した展示でございました。
八雲以外の熊のことは殆ど知らなかった私は、ただただ勉強になります!!!という感じで、ほぼ何もやっていないという。しょうがない!勉強だ!という感じで宙に浮いておりました。(2センチほど)
田村実咲さんの『開講!木彫り熊概論』はkodamado店舗またはアマゾンなどでも買えます。ラジオなどでも話題となっておりました。なんと私たちの名前も青沼さんの計らいにより載せてもらっていて感激。。。
田村さんの本を展示にして見える様にしている。本当は本を読んでからじっくり見たかった。
田村さんの本と北海道の熊展の写真集を一緒に読むのもいいですよー!
写真集まだ少し有りますのでぜひ^_^
お母さん熊の綺麗な優しい顔。薄いけど大きい作品
熊ボッコの変遷を紹介。
みんなゴジラと言っていた。奥歯の臼歯がなんともゴジラ、いや、ガッズィラ( Godzilla )!歯ばっかり見ちゃう。
そしてその玉毛彫?的な?どうやって彫るんだろ?ってなりますね。
田村さんにサインをもらった人たち。
そしてはぴあ八雲で8月31日9月1日に行われた、町主催のイベントクマさんの日トークライブ!
沢山の人が来ていました!
毎月来てくれる方もここは外さず!という感じで来てましたし、そういう方が今年は結構いてくれて、八雲町に住んでる同級生のお友達よりも会っているという事態になっておりまして、この人八雲に住んでるんだよね?という錯覚に陥っております。
久々に来てくれて嬉しい再会!もあって、トークショーも見たいけどお話ししたいし全然時間足りない!という楽しいお祭り大盛り上がりの二日間でした。
イベント打ちすぎて、ここは辞めてあっちにしておこうという苦渋の選択に迫られた方も結構いらっしゃった様です。応援メッセージいつもありがとうございます。
尾張徳川家のお話しと、徳川義親さんのヨーロッパ旅行についてのお話がめっちゃ興味深く、聞けて嬉しかった。
八雲に徳川家が開拓したことを名古屋の人はあまり知らなくて、こっちばっかり名古屋を気にしてる。
みたいになってると知った時結構ショックだったのですが『冬の派閥』という小説を読んだ時、北海道(八雲)に来させられた人たちは流罪だったのか。と思ったのだけれど、
近年はそうではなく、北海道に夢見て北海道ドリームを掴みに開拓に入ったという考え方の方が正しいのではないか、という考えになってきているらしい。
私の先祖は最初に入った人では無いので、多分ドリーム掴みにきたんだと思うんだけど、来たものの時すでに遅し。良い土地は埋まっていて、転々と町内を引っ越すことになり、のちに本家は室蘭へ移住。
私の祖父も引間さん(木歩さんと仲良しだったのかな?家に生えてる木が引間さんからもらったとか、畑を買ったとか聞いたことがある。)と白老に土地を見に行ったというエピソードがある。しブラジルに行った親戚もいるし、行くかも知れなかったと聞いたことがある。カルロスゆきこだったのかも知れない。
結局は八雲町の山崎というところに祖父が40代の頃に広い土地を求めて勝手に引っ越したもんだから家族は大怒りでカンカンだったらしい。小学校のすぐ裏に家があったのに、すごく遠くなって大変だったし、99歳の祖母も山崎に行って50年以上経つのに、山崎に行ってから良いこと一つも無かったと、山崎で生まれた孫(カルロスゆきこ)に言い放つ始末。。。一つもないってさ。そんなこと言うなよ。
そして、このおばあちゃん、この間、骨折してしまって手術ができないことになり、痛そうでとても可哀想で。いっそのこと殺してくれと言っていて、めちゃくちゃ可哀想だった。死ぬかもしれない、と思っていたのがちょうどこの8月末の時期で、実は結構密かに参っていた。(姉のみきとともに)
今は痛みも引いて、白寿のお祝いを町長から受け取る儀式にも参加し記念の盾をもらい、後から「こんなものいらね」と言っておりましたが、私も同じこと言っちゃいそうだな。と血を感じておりました。
そしてその祖母、6月に99歳になったのですが、なんとその数ヶ月後に100歳になったつもりになってしまって、この度の骨折騒動により、148歳になったと一瞬言っていた時があり、よほどつらかったんだと思いました。
99歳のお祝いなどさぞ物足りなかったことでしょう笑
めっちゃ若いもんね。148歳からしたら99歳なんて。
数ヶ月で50年時がすぎる感覚。面白い。
自分も、クマまつり関係で時が経つの一瞬すぎると時々申しておりましたし、この間のモントペペリさんとのYouTube内でも「え!?出会って一年しか経ってないの!?5年は過ぎてるよね!」と話すこともありましたが、たかだか4、5年。おばあちゃんからしたらマジであっという間なんだろうな。全員感じた濃厚な日々。
にしても、60歳違いの祖母なので祖母が148歳となると私も一気に80代突入、90目前と想像して気持ちが若干ヨボついた。
気がついたらめっちゃ脱線した笑
話は戻ってトークライブで衝撃だったのが、徳川義親さんがスイスで木彫り熊を買うきっかけになった、欧州旅行についてのお話。
この時の旅行についての記録があまり残っていないそうで、今でもわかっていない事が沢山あるということ。
その理由として、1921年義親さんが、北白川宮成久王に礼儀作法を教える旅行として同行したというのも旅行の目的にあったが、その北白川宮成久王がそのヨーロッパ留学中に交通事故で亡くなる。という大スキャンダルが起きてしまい、連日そのことで大変だったらしい。
そして1922年帰国の際の船にアインシュタインが乗っていて、その船の中でノーベル物理学賞受賞の知らせを受けたので、帰国後の取材がすごかったこと。などがあったらしい。
義親さんはその後1923年に八雲にスイスの熊を持ってきてくれて1924年に第一号が完成したという事だったのでした。
その間関東大震災も1923年にあったりして、激動な年月だっただろうな、と時代背景をリアルに想像する。鳥の目ならぬ、アリンコの目になるのが大好きなので、とても関心深く聞かせていただきました。
そして、鈴木譲さんとジョバンさんが交換した熊のつづら箱。
クマまつりイベントで去年この箱のことを再確認している瞬間が見られます。
向かって左端ジョバンさんと右端のジョバンさんの息子さん(レスリングの選手)に囲まれて小さい女の子になれて嬉しい千鶴さんと私。そして真ん中後ろは去年のイベントから通訳として大活躍のいのこっこロビンさん!ドイツ語通訳できる逸材が八雲にいるなんて素晴らしい!接待の時に町長に苦手な食べ物無理やり食べさせられたり大変だったらしいけど、頑張った!えらい!!!!お疲れ様でした!
あとは、千代先生のビデオメッセージに、ああ、先生はお厳しい方だったと数名で震え上がりながら聞いていた笑
姉のみき曰く、千代先生は木彫りを武士道のように捉えておられたのでは、と木彫り熊道。確かにそんな気がする。
明確なルールがないようでやりにくいような、趣味なんだかなんなんだか、自分の中で穢したくないルールを持っておく。私の脳には千代先生の教えがこびりついている。
壁にぶち当たったら、常に考え、戦いながら、進むしかなし。と私の場合は思っております。
そして民間の私たちが公民館で1日に開催した
こちらにも沢山のゲストの方とお客様に来ていただきました!お客様にはトークばっかりでごめんなさい!と思いつつ、こちらでも面白いトークが繰り広げられました!
『開講!木彫り熊概論』の著者の田村実咲さん。
旭川からボッコ熊のトミヤ郷土民芸の澤田栄治さん。
札幌から遊木民の川口拓二さん。
阿寒から熊の家の藤戸康平さん。
元道立近代美術館の学芸員五十嵐聡美さん。
貴重なお話しお聞きできました!
配信しようと思っていたのですが、こちらの都合で出来なくなりました。すみません。
見に来てくれた方は貴重な体験できましたね!
見られないのに自慢するようで申し訳ないのですが、とても面白かった。
こちらも田村さんの本を体験できるような会でした。
私的には藤戸さん五十嵐さん澤田さんは初めましてだったのですが、田村さんの本の中で取材されていた方ということと、青沼さんも直接会いに行っていて、熱烈オファーにより、行かないほうが面倒だわと思わせることに成功したのではないかと思うような感じがありました。笑
ボッコ熊のトミヤ郷土民芸の澤田さん。ソース顔。マイク持つ時、立ってお話し。
私の中の澤田さんのイメージが、マイクのコードを捌きながら、ジャケット翻し(てない)、ジャパーン!って言っちゃってたんじゃないっけ(言ってない)感じの勢いがあり、そのイメージに書き換えられている。
お話も面白く、覚えていることを少し。
旭川は商売として、道南は羨ましいと思っている。なぜなら、函館ー札幌の流通の間にあるからものが売れる。旭川は大変なんだ。と
澤田さんの先祖は富山から入植で、富山の薬売りの様に、つづら箱を背負う様な感じで木彫り熊のサンプルを持って行っていたと。
スイスと同じじゃないか!今回ジョバンさんが持ってきてくれたつづら箱のお話しと同じ話が澤田さんの口からも出た!
しかし、以前のクマまつりのトークライブ時の時、スイスはいろんな国に囲まれているから、通り道になるというエピソードをオシャボに書いたのですが、その時の印象は八雲も通り道じゃないから、わざわざくる感じになるんだよな。
という感想だったけど、旭川のトミヤ民芸さんからすると、通り道で羨ましいとなるのか。
と新たな発見でありました。確かに鉄道もあるし、色々便利な町ではあると大人になってから少しづつ気がつくのでした。
いろんな方のお話が聞けて、時間に押されて、私のうすぺらな想いはオールカットとなりましたが、カットになって助かったと思っておりました。
くまつみの渡辺さんが、オシャボってついてるからもっとゆきこ節聞けると思った的なことを声かけてくださいましたが(ほんとお優しい。)オシャボってなんだべってみんな思ったまま(思うことすらなく!?)終わったけど、変なこと言わずに済んでほんとよかった!笑
30年前に民間で八雲と旭川でやったという源流展。
八雲の100周年という節目にクマまつりにいろんなところから来てもらえたというのは、青沼さんの努力の賜物。
これからの100年、未来のために何ができるかはわからないけど、これやってたのすごいよね。と未来で改めて誰かが気がついてくれると嬉しいけど、基本的には自己満足です。でもやっぱりやっててすごい!えらい!えっへん!
時間オーバーしたけどめっちゃ楽しかったー!きてくださった方々ありがとうございました!
阿寒から藤戸さん、壮瞥から阿野さんが出店してくれました!
函館からレジェンドブレンドのmaayankoffeeさん
絵は町内のシトミさん、文字はのヤブキタカトシさん、全体デザインは姉のみきが担当しております。
9月のこと書こうと思ったら、9月1日で結構な長さに。。。
今日のところはこの辺にしておきます!
まだまだ想い出がいっぱい!ぼちぼち書きます!
こんなところで今回のオシャボはお開きですʕ•ᴥ•ʔ