自分のことを少し話す⑥

やっほー!ゆきこだよー!毎度おなじみ資料館ブログしげちゃんオマージが決まったところで前回からのつづきです。

2021年10月17日に青沼さんから電話が来て、翌18日にすーさん熊をkodamadoへ持って行った。

何故なら、カーサブルータスの取材があるから。

あの、ルイヴィトンとかが広告に載っちゃってるスーパーおしゃれ雑誌に八雲が49ページ特集されるという。(気になる方はkodamadoで販売中ですので、買いに来てくださいね^_^)

ちゃっかり自分の作った木彫り熊も写ったらいいなー!と思って持って行った。(結果的にすーさん熊も、私の熊も掲載されずでした(汗))

『カーサブルータスに八雲の木彫り熊が取材されている!!!』

ということは、私にとってとても衝撃だった。

そして、この時初めて青沼さんと木彫り熊について話した。

八雲には木彫り熊資料館こそあれど、町民はほとんど興味がない。昔のもの。古臭いもの。イメージで、固まって終わっている人がほとんど。

私も同級生の友達にここ数年木彫り熊にハマっていることを語った時に、「ゆっこの木彫り熊ってシュールな趣味じゃーんwww」という反応。

たしかに、歴史の話をされたとて、「徳川ッ」って言ったところでザンッとシャッターを下げてしまって「ムズカシイ…レキシノコト.ワタシ.ワカラナイ…」となってしまうのは当然だと思う。。。

私もそうだった。

歴史が今と繋がってないと思うからそうなるわけで、ジュラ紀白亜紀の恐竜の話じゃなくて、ちゃんと繋がってる、

あの、可愛がってくれたお爺ちゃんのお爺ちゃん。その頃の時代には、遊楽部川に橋は無くて渡せ船で通っていた。

もちろん鉄道もなく、熱田港から船で函館港まで来てから、八雲港まできて、アイヌの方が手伝っておんぶして下ろしてくれていたことなど。昔はアイヌの人とも普通に共存していたことなどを読むとほんとに面白い。徳川さんもアイヌの熊祭りの儀式に参加していたなんて書いてあったりして、そういう儀式もこの八雲でやっていたんだ!と驚いた。

とにかく、八雲の木彫り熊は、スイスから徳川さんが持ってきて、農業は冬の間稼げないから、お土産物作ってみー!って持ってきたものだよ!って話が、掘れば掘るほど面白い。

そこをどう伝えたらいいか、せっかくいいものがあるのに生かせてないのがもったいないという話で、とにかく、八雲の熊は今は売れないけれど、木彫り熊と本の店を開けた。これからは土日も開けたいんだー。というようなことを話した。

青沼さんって、行動力の鬼。やっちゃうって本当すごい。私は思いついてもモジモジして絶対やらない。よく言うのが「石橋を叩いて叩いて渡らない」それが私。

そんな私ですがこの日は宅建試験の次の日です。きっと落ちてるなと予感はしつつ、開放感満載&大好きな木彫り熊の話で私のハートに火がついて。「その、土日の店番?とかいうやつ?私やりますか?じゃないと青沼さん休みないでしょ?」と何も考えずに口をついて出ていた。

そうね。せっかく東京の人とか札幌の人とか八雲に移住してきてくれた人たちが八雲の熊の素晴らしさを伝えて頑張ってくれているのに、ずっと八雲のなおかつ彫り始めてる私が、コソコソしてて良いのか!?と言う気持ちになってきました。ヴィンテージの熊はあるけど、現役作家が居ないのがとても残念。いるけど趣味だからと遠慮の気持ちが大きい。でも、彫ってる人はもっと出てきた方がいい!!(←と日記に書いてあった。)と自分の想いをどんどん固めていった。

「店番する」と言ったって超えなければいけない山が幾つか。

最大マウンテンは、木彫り熊講座の千代昇先生だった。

先生がダメと言ったらそれまで。意地悪とか厳しいじゃなくて、先生は本当に優しい。自分の経験を踏まえて本当に私たち講座生のことを心配してくれています。この時に、生半可な理由だったらキッパリダメと言われていたかもしれないけれど、私も本気だった。

千代先生に、伝えたいことをメモして持って行った。

⭐︎青沼さんという司法書士さんがkodamadoという店を開いた。雑誌の取材がくるので、実家にあったすーさん熊を貸した。

⭐︎柴崎展をやっている間、土日もkodamado開けたいらしい。→店番しますか?と言っちゃった。→助かるー!となっちゃった。先生に相談する前に。

⭐︎先生が許してくれたら、そこで店番したい。木彫り熊彫りながら。

⭐︎木彫り熊のイベントをやるのに、八雲の人が関わらないのが寂しい!もったいない。と思った。

⭐︎良ければkodamadoを見に行きませんか?

と言うのを、言えた項目をチェックで消す事にした。全部消した。(頑張って言った。偉い。)

先生をkodamadoに連れて行く事に成功したのである。

そこで、素敵な場所を見せて、青沼さんにも合わせることができて、先生を納得させることができた。。。ホッとしたー。。。

青沼さんと千代先生をマッチングした事により、千代先生の作品をkodamadoで取り扱う事にもなり、本当嬉しかった。

私の功績は大きいんだぞエッヘン!じゃなくて、青沼さんの素晴らしさが千代先生にも伝わったので嬉しかった。これがまだ10月22日。すんごいスピード感。頭がついていかない。いろいろ考えないといけない。

ただ彫っていた人から、実演しながら彫り他の作家さんの作品を販売するという立場に変わる。考え方や意識を変えなければいけない。

25日には駅前ホーラクさんに千代先生にお許しを頂いたので、kodamadoというお店で土日彫ります!一緒に盛り上がりましょう!とご挨拶。自分の作品を見ていただく。緊張してたけど、マスターもママも小熊さんも柴崎さんも優しかった。

10月末で、今年の木彫り熊講座終わるので、講座生の皆さんにも店番することのご報告&kodamadoに講座生の作品を飾らせてくれないかと訪ねてみる事にした。

講座生の作品を八雲町木彫り熊資料館 で飾るのは講座をやっているところなので、1年間の集大成を見せる場。なので当然の事。

民間のkodamadoに飾ってほしいという話については、講座生の方たちとそれぞれの想いを発言する機会になった。

ある方は「先生に見てもらって、彫ってもらっているうちは、人に見せるべきではない。例えば絵でも、誰かが一滴墨を落としただけでもそれは自分の作品ではないのだ。下手でも自分で全部作ってみてからが自分の作品なんだ。この下手な熊を公衆の面前に出すということは、先生の顔に泥を塗ることにもなるんだ。」と教えてくれた。

私は、そういう考え方を知らなかった。年代によっても木彫り熊に対しての考え方は違うようで、とても勉強になった。この考え方を知れて嬉しかった。

私は今の空前の木彫り熊ブームで町が少しでも盛り上がれば嬉しいし、今木彫り熊は私たちが思っている以上に外から注目されています。それなのに熊は古いものしかなく、外注に頼むだけでは寂しいし、恥ずかしい。

良い先生が居て、ちゃんと教えてもらって習っている人がいるんだ!ということをもっと外に知らせても良いのではないか。今の人は木彫り熊作品を上手い下手で見ない。好きか嫌いかで見ているとおもう。講座生なんだから下手で当たり前。先生に教えてもらって年数を重ねて上手くなって行く様子が素敵やん?売るわけじゃないし。というようなことを言った。

お互いの違う考え方を発表し合い、ケンカになったのではなく、より一層講座の仲間が大好きになった。仲間!キズナ!炎!スクラム!みたいな。熱い時間を過ごせた。

先生は、この議論で次の日誰もきてくれないのではないかと心配だったそう。

先生は自身の経験から、かわいいかわいい講座生を守りたいという気持ちがあるみたい。(講座を、見学しに来たどこかの彫り師?の人に「ケッ!こんなもん彫ってんのかッ!」みたいな事を言われたことがあったみたい。。。」)

そんなこんなで、2021年の10月末に今年の木彫り熊講座は終了し、11月から柴崎没後30周年企画展の間の土日祝kodamadoの店番をする事になった。

次回は遂に「クマまつり」のお話に入っていきます!!!

柴崎重行氏没後30周年企画展ポスター。
ホーラクにご挨拶に行った時の小熊さんの作品。テーブルが宇宙っぽい。
10月19日には遊木民のお父さんによる私のネームプレートが完成されてきた‼️
青沼さんの電光石火っぷりを見た。
モタモタしない。